横サスと私
脚本担当の末田です。横川を拠点にチャラチャラしてます。
さて、
あれは2004年の5月でしたか、綺麗に晴れた春の午後、花咲く自宅の庭でした。神酒監督から「脚本をかきませんか」と電話をいただいたのは。
どんな仕事も2秒でオーケーです。
私は監督の作品を拝見したことがあり、ずいぶん爽やかな印象を持っていたので、土むさい私は、
やっぱり2秒でオーケーです。
これは化学変化、その名も「ケミストリー」のお誘いであると考えました。
しかし、そこから長かったのです。ああ長かった。
この脚本ができるまでのスペクタクルは、もはや私と神酒さんしかわからないでしょう。当初9月クランクインのはずが、その半年後になりました。
実は、最初は、幽霊の話でした。
「横川サスペンス」ならぬ「横川ファンタジー」になるところでした、ほんと、ならなくてよかったと今となっては思いますが、あのころは真剣でした。真剣な人自体がファンタジーさ、などと、こんなところで深い話もなんですが、ファンタジー系のフィルムフェスティバルに出品か?!などと、言っていたものです。
しかしともあれ、サスペンス的要素はけっこう早い内からにじみ出ていました。そして神酒さんがタイトルを「横川サスペンス」と決定してから、よりその方向にジャンプして行きました。とにかく、いつどんなときも、脚本というのはこうして出来ます。いろいろこねこねです。
ただ終始一貫して肝に命じていたのは、神酒さんの言葉
「世界中の誰が見ても、同じように楽しめる映画」
ということです。
これは、私もとても共感した言葉です。迷った時に立ち返る所はいつもここです。そしてまた、ここが一番難しかったところでもあります。
誰が見ても楽しめるものを作ったとて、横川で作った意味が単に「ロケ地」っていうだけじゃいけないなあト。でも、横川を描いても、横川の町そのものの面白さには勝てる訳ありません。などなど悩みました。私のなかで一番の問題でした。
というわけで、単純ですが、気付いた時には登場人物たちに横川に実在する人たちのイメージをかなり詰め込んでいました。
これは横川商店街の会議や、「のどを潤す会」に潜伏してトリの唐揚げを握りしめてきた私にとってはぴったりのやり方でした。あの人物はあの人、あの人物はあの人、という感じです。そうしていくと、どんどんと人物達に引き込まれ、その人物あるからこそ、ストーリーが出来て行きました。まさにこれが横川の力です。こんなかんじで脚本を何度も書いていくうちに、まちがいなく横川が生んだ、きっと誰でも楽しめる作品の基盤になれたかしら、とおもいます。それはあたかも、一つの町が出来て行くように。人が町を作り、町が人を作り、と言うふうに。横川が映画を作り、映画が映画の中にまた一つの横川を作ったような。
ちょっとこのまま書き続けると、読者のみなさんを感動させてしまうことを確信したので、このへんにしときましょう。ちゃらちゃらしときます。
おつぎは、韋駄天役の末武太アクターです。