No.45の記事

TVディレクター役の浅原です

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TVディレクター役をやらせていただきました、θ-projectメンバーであり、アングライベント「詩を詠む会」の代表であり、こども造形教室「アトリエぱお」講師でもある、浅原裕貴と申します。

私が神酒監督と出会ったのは9年前。
広島市立大学映画研究会、私が部長で奴が新入生。そのころの監督は今よりも老けていて、まだヨン様とは呼ばれてませんでした。

学生時代は私の映画の撮影や編集を手伝ってもらったり、彼の映画に脚本や役者で協力したりしてました。

卒業後は、あまり組むことがなかったのですが、この冬に中国新聞春のCM制作で数年ぶりに組みました。(このCMは監督、主演、衣裳、ヘア&メイクが全て横川サスペンスと同じという、まるで映画の予行練習のような作品でした。ちなみに私は脚本、助監督を担当)
はじめは久しぶりのためぎこちなかったのが、だんだんとアイコンタクト(お互いのメガネとメガネを通してるので、正確にはレンズコンタクト。)で動けるようになっていったのを覚えています。

この時は、数人の少数チームで撮影しましたが、今回はスタッフ、キャストあわせて20-30人(最多事は300人を超える大所帯。)学生時代の数人の現場とは比べものになりません。いやが上にも緊張は高まります。

この映画の現場では、監督とはほとんど会話はしませんでした。演出の注文もほとんどありませんでした。なぜって、顔見たら何を求めてるかだいたいわかるし、監督も俺が何をしでかすかはだいたいわかってるからです。わかった上で放し飼いにしてもらってました。おかげで、やりたい放題やらせてもらいました。
学生時代から、どう映ってるかは問題ではなく、いかに監督はじめ現場の人間を笑わせるか、だけを考えて演技してました。だって、それを切り取るのは監督だから。
なので、やりたい放題やっちゃいました。

ともかく、学生時代の仲間と大きなプレッシャーを背負いながらの撮影は、感慨深いものがありました。
それは、規模やまわりの状況は大きくなったけど、俺と神酒の関係はなにも変わってなくて、まだ一緒に走り続けていられたこと。
10年後には、もっと大きな土俵で(ハリウッドなのか東映なのかミラマックスなのかはわからんけど)また手合せしたいもんです。そのためには精進せんとね。